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今学期のふりかえりと個人学習プロジェクトの最終報告書

皆さん、こんにちは。学期がようやく終わりましたね。皆さんはどう思いますか。

私にとって、本当に速い学期でした。何でもやらずに学期が終わった気持ちでした。ずっと研究をやっていて、他の面白いものはあまりないのて、残念でした…でも、今学期はpreliminary examという大事な博士の試験を受けて、合格したから、本当に楽しいものです。

つい日本語も、私の博士の勉強にずっと伴っています。日本語の授業もいつも通りに楽しいけど、後では402だけあるし、ちょっと残念です。日本語の授業が終わったら、私の博士の研究もそろそろ終わるようです。

来学期は研究に集中しなければなりませんけど、もし楽しい出来ことがもっと多くあれば、良かったと思います。

さて、私の個人学習プロジェクトは以下です。

日本語401個人学習プロジェクト最終報告書

「日本の自動車について」

タオユエ・ジャン

 私が個人学習プロジェクトの選んだトピックは日本の自動車である。日本の自動車は世界中で評判が良くて、自動車関係のメディア作品は世界中によく知られて、どうやってこの状況になったのかが気になる。それで、日本の自動車を選んで、相関していることを調べることにした。

 中間報告書までに、日本自動車の歴史や発展をほぼ理解した。日本の自動車の歴史は百年ぐらいの歴史があるけど、欧米自動車と全然違う発展の道を遂げて、日本の自動車の評判が良い理由や燃費の高さを重視していることを少し理解した。

 まずは歴史だ。私にとって、日本の自動車の発展の階段は三つある。一番目の階段は、20世紀の始まりから第二次世界大戦までだ。1898年は、日本の最初のガソリンエンジンの車をフランスから輸入して、日本の自動車の物語の始まりを示した。その後の十年間、日本は外国の車をたくさん研究して、試作を続けた。それで、1910年から、外国のメーカーは日本自動車マーケットに可能性があると考えて、後の二十年間ぐらい日本に進出した。それから、日本は外国の技術を学んで、1936年にトヨタ自動車を代表とする会社が成立されて、自動車の量産が始まった。その時、日本政府は自動車を国家戦略の一環として、政策を支持した。

 その後、第二次世界大戦の影響で、外国メーカーが日本から撤退して、日本メーカーの戦時の生産の中心は軍需用車になった。そして、1945年の終戦後、日本乗用自動車はゼロから再出発した。それでも技術をまだ持っているのは不幸中の幸いだった。始まりの時、日本の企業は大抵バイク、三輪車、軽自動車などの小型、低コスト車に集中した。その間に技術を更新し続けて、1955年、トヨタは「トヨタクラン」というモデルを発表した。非常にクラシックなモデルで、このシリーズは今もあるのだ。その後の三年間、ほかの企業もたくさん乗用車モデルを発売した。戦後の日本の経済成長は速かったので、道路整備もだんだん整ってきて、国民の乗用車への需要も速く高まったのだ。その発展の勢いを保ったまま、1970年まで、日本政府の「国民車」という構想が実現したようだ。

 欧米と比べて、日本の自動車産業は独自の発展を遂げてきた。日本の自動車規制がたくさんあるからだ。例えば、街中の車は幅や長さの制限があって、排ガス、騒音規制、安全基準も厳しいそうだ。そのような色々な規定によって生まれたのが、日本車の燃費のよさと小型技術だ。総じて、私は日本の車は欧米車より軽くて、設計に不自然な長さと太さがないと思う。1973年は、「オイルショック」という事件が起こって、石油の価格は三倍ぐらい上がったのだ。ガソリン価格の上昇幅も大きかった。それで、欧米消費者は日本の自動車に注目して、1970から1980まで、アメリカ市場で日本自動車が前より流行ってきた。その時、日本の自動車は高品質、高い燃費、信頼性の象徴として知られた。たくさん売られたので、日本車の技術も成熟して、スポーツカーも作りはじめた。1990年から今まで、メディアなどの影響で、日本のスポーツカーとJDM文化も広がった。

日本自動車についてたくさん興味深いトピックがあるけど、ここからは、私が興味があるJDMや未来の挑戦について書いてい

 JDMは、「Japan Domestic Market」という意味で、流行っている理由は色々ある。でも、重要な理由の一つは、「頭文字D」を代表とするメディアの影響だ。

 「頭文字D」は、重野秀一(しげのしゅういち)という漫画家が1995年に創作を始めた漫画で、後にはアニメ化や映画化も実現した人気の作品だ。漫画では高校生の藤原拓海が父親の豆腐店を手伝って、豆腐の配達を通じて、素晴らしい運転技術を身に着けていく。その後、群馬県の秋名山という峠道で色々な相手と試合する物語だ。秋名山は曲がった道がたくさんあるので、ドリフト走行という技術は大切だ。タイトル中の「D」もドリフトの意味である。「頭文字D」の人気が上昇するにつれて、JDM愛好家もリア駆動(ドリフト走行がもっとし易い)のスポーツカーへ注目していく。そして、峠道で速くドリフト走行するのは危険なことだけど、自分の車を改造して、群馬県の榛名山(秋名山の本当の地名)の峠道に聖地巡礼するも多いのだ。

藤原拓海が運転した「AE86」という車は、トヨタが1983年に発売したモデルで、今のトヨタ「カローラ」の前身だ。でも、「AE86」はそのままでは性能が他のスポーツカーより悪くて、改造を行わなければならない。作者の重野自身も改造愛好家で、「頭文字D」の中にはドラマのように誇張した演出避けられなくあるのに、たくさん本当 の車改造知識を入れて、多くの観客の改造に対しての興味を喚起した。それで、「頭文字D」の人気が広がるにつれて、日本の8090年代の車の人気も上がったということだ。さらに、「頭文字D」が欧米で流行った2000年前後は海外でも改造文化が流行っていた期間なので、日本車の改造しやすいイメージができて、日本車の海外の輸出にも役に立ったと思う。「AE86」は日常的に運転する家庭用車なのに、アメリカ市場で人気があるので、今でも二、三万ドルぐらいで売られるようだ。「頭文字D」に登場したスポーツカーは通常より高い。

 日本の自動車は、今までグローバル市場で成功を収めている。輸出は東南アジア、オーストラリア、インド、北米に集中して、2024年にトヨタはまだグローバル自動車生産量の世界第一位である。でも、今後の発展は、まだ挑戦がたくさんあるそうだ。

 まずは電気自動車へのシフトは遅いことだ。日本のガソリン車とハイブリッド車は世界中で大きい成功を収めた一方で、成熟したサプライチェーンを確立した。それで、色々な部品メーカーも日本経済の重要の一部だ。しかし、電気自動車は新しい設計で、新しいシステムやサプライチェーンを作成しなければいけない。それで、日本の車メーカーにとって、電気自動車へのシフトは難しい決定なのだ。さらに、電気自動車の発展に伴って、車載エンターテインメントシステムや自動運転技術も発展している。一方で、日本の自動車もこれらの技術に注目していないので、TESLABYDVolkswagenなどの企業と比べて遅れている。

 次に、日本国内の市場の状況だ。日本国内はまだガソリン車とハイブリッド車の需要がまだ主流だけど、市場は縮小している。原因は大抵近年の少子高齢化で、人口は減っている。さらに、若者は都市に集中する傾向がある。都市の公共交通機関は便利だし、都市中の駐車料金が高いし、車を持たない人が多い。

 最後は2010以降の日本車会社の数回の不正問題だ。2010年から2024年まで、トヨタ、ホンダ、マツダ、スバルを代表とする自動車会社は、排ガス、騒音規制、燃費データ、衝突試験などのエリアで不正行為を働いた。その中で、燃費データは最も頻繁に発生する問題点だ。現代のガソリン車やハイブリッド車の燃費競争は厳しくて、他の会社の不正行為もあるのだ。原因は複雑だけど、よく言われたのは過剰なコスト削減や納期優先文化だ。そのために、日本の長期にわたって築いた評判を落としていることもあるのだ。

 以上が自動車についての個人学習プロジェクトだ。苦労したところや努力したところは色々な日本や英語のサイトで調べたことだ。日本のサイト中の単語は大抵わかりやすい漢字だけど、文は長すぎるので、正しい言葉で短い文に短縮するのは挑戦が必要なことだ。一方、英語の情報は日本語に翻訳する時、たくさん固有名詞があって、個別に調べなければならない。でも、日本の自動車の歴史、興味があるJDMの形成、日本車の将来の挑戦などについて学べて、大変興味深いことだ。


コメント

  1. Preliminary examの合格、本当に本当におめでとうございます!タオユエさんと日本語1年生勉強してきて、タオユエさんの頑張りを見てきたので、Prelimの合格を聞いて、私も嬉しかったです。博士課程も、日本語の授業もいよいよ終わりに向かっていますね。最後までどうぞ楽しんでください&楽しみましょう!(*´▽`*)/

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