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「日本の自動車について」

     私は、個人学習プロジェクトの選んだトピックは日本の自動車である。日本の自動車は世界中に評判が良くて、自動車関係のメディア作品は世界中によく知られて、どうやってこの状況になったのは気になる。それで、日本の自動車を選んで、相関なことを調べようにした。今まで、日本自動車の歴史や発展を通して、評判が良い理由や自動車文化を少し了解した。

まずは歴史だ。私にとって、日本の自動車の発展の階段は三つがある。一番目の階段は、20世紀の始まりから第二次世界大戦までだ。1898年は、日本の最初のガソリンエンジンの車はフランスから輸入して、自動車の物語の始まりを示した。その後の十年間、日本は外国の車をたくさん研究して、試作を始めた。それで、1910から、外国のメーカーは日本自動車マーケットの可能性があると思って、後の二十年間ぐらい進出した。それから、日本は外国の技術を学んで、1936年に豊田を代表とする会社が成立して、自動車の量産が始まった。その時、日本政府は自動車を国家戦略の一環として、政策を支持した。

後は第二次世界大戦の影響があったので、外国メーカーが退出して、戦時の生産中心も軍需用車になった。それで、1945年後、日本乗用自動車はゼロから再出発した。でも技術がまだ持っているのは不幸中の幸いだ。始まりの時、日本の企業は大抵バイク、三輪車、軽自動車などの小型、低コスト車を集中した。その間に技術を更新し続けて、1955年、豊田はトヨタクランというモデルを発表した。非常にクラシックなモデルで、このシリーズは今もあるのだ。後の三年間、ほかの企業もたくさん乗用車モデルを発売した。戦後の日本の経済成長は速かったので、道路整備もだんだん整ってきて、国民は乗用車への需要も速く増えたのだ。その発展の勢いを保て、1970年まで、日本政府の「国民車」という構想が実現したようだ。

日本の自動車規制はたくさんあるのだ。例えば、街中の車は幅や長さの制限があって、排ガス、騒音規制、安全基準も厳しいそうだ。それ色々な規定に生まれたのは、日本車の高効率と小型技術だ。総じて、私は日本の車は欧米車より軽くて、設計に不自然な長さと太さがないと思う。1973年は、オイルショックという事件が出来て、石油の価格は三倍ぐらい上がったのだ。それで、ガソリン価格の上昇幅も大きかった。それで、欧米消費者は日本の自動車を注目して、1980年までアメリカ市場で日本自動車が流行ってきた。その時、日本の自動車は高品質、良い燃費、信頼性の象徴として知られた。たくさん売られたので、日本車の技術も成熟して、スポーツカーも作りはじめった。1990から今まで、メディアなどの影響で、日本のスポーツカーとJDM文化をも広げた。

以上は私が調べた日本車の歴史だ。他のは、JDMと軽自動車も少々調べたけれど、次回の最終報告書につけようと思っている。後半はたぶんスポーツカーと有名なブランド、JDMと車文化、と日本車の将来の挑戦を調べようにする。問題点と困っていることはない。私は元々日本車が素晴らしいと思って、「どうしてこんなに小さいな島で、世界中さえよく知られた車が生まれる」の疑惑をずっと持っているのだ。今まではたくさん日本自動車の歴史を勉強して、「なるほど」な気持ちを持っている。

コメント

  1. 日本の自動車は面白いですよね。いろいろな違いがあります。どうぞ頑張ってください。

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  2. 最後に紹介してくれた車は本当にかっこよかったと思います!自動車についてあまりわからないからもっと知りたいです。これからも楽しみにしています。

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  3. 自動車を日本の第一産業にした背景には日本政府が「自動車を国家戦略の一環として、政策を支持した」ことがあったんですね。それでも、それを成し遂げた先人はすごいです。
    日本には資源が少ないけれど、そのおかげで、燃費のいい自動車を開発したり、逆境をばねにしていますね。電気自動車の時代、どうなっていくのか、タオユエさんの研究の続きがとても気になりました。

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